そんなに義経とか赤穂浪士とか好きなのか?日本人の悪癖「判官贔屓」

自分たちのやった事、棚に上げないでほしい

僕が唯一嫌いなガンダム作品「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY 」。

嫌いな理由は多々あれどその一つは(敗者である)ジオン(デラーズフリート)の美化。

最近の作品「ガンダムUC」や「サンダーボルト」もジオン贔屓なところがあるけど「0083」ほどひどくはない。

自分たちが一年戦争時にやってきた事(核・毒ガスによる他のサイド住民の虐殺、地球へ武力侵攻)を棚に上げ「独立」だの「大儀」などと我らは巨悪に立ち向かう誇り高き武人だと自己陶酔に陥っている。

ふざけるなと言いたい。本当に気持ち悪い。

「0083」OVA発売当時は「漢だ」「武人の中の武人」だの絶賛される声が大きかった。けれど昨今のイスラム過激派によるテロ多発のご時世、狂信者・テロリストと評価が変わってきた。本当にいいことだ。

前置きが長くなりました。今回は「0083」の様な過剰な敗者賛美が生まれた背景にある日本人の強き者より弱き者に肩入れしてしまう「判官贔屓(ほうがんびいき )」について。

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それは源義経から始まった。

何故弱いものを贔屓する事を判官贔屓と言うのでしょう。

平安時代末期の人物 源義経。

源平の合戦において源氏を勝利に貢献した立役者。

しかし兄源頼朝との間に確執の果て、奥州平泉の地で非業の死を遂げたのは皆さんご存知の通りです。

義経の役職は左衛門尉(さえもんのじょう)と言う左衛門府の判官でした。判官とは律令制の官職の名前です。

その悲劇的な最期を迎えた義経に対し、世間の人々は哀惜や同情の念を抱きました。

義経→九郎判官(九郎は義経の幼名)→判官

立場の弱いものに対し義経(判官)のように同情してつい肩をもってしまう。

これが判官贔屓の由来です。

義経が作劇の世界でよく容姿端麗、清廉潔白な人物に描かれて、対して頼朝は佞悪醜穢(ねいあくしゅうわい)な人物にされるのは正に判官贔屓のなせる業でしょう。

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やはり判官贔屓はいい事ではないと僕は思う

タイトルで判官贔屓は日本人の悪癖と書きました。

判官贔屓の意識が強い人って肩を持つ弱者と自分を同一視している人が多いと思います。そして対する強者(エリート・富豪・王族・権力者)を悪の権化の如く罵るけれど、裏を返せば強者に弱者=自分を認めてと言うより構ってほしい、強者ならば弱者である自分に何らかの手を差し伸べるのが当然、という心理が透けて見える。

そういう人って自分が「強者」になろうという努力を放棄し、同類と群れて歪んだ自己を肯定しあう。

だから嫌いなのです。自分が惨めだと思わないのだろうか?

判官贔屓を完全否定はしません。自分はしないと言えば嘘になりますから。

でも美徳だなんで思っていませんし、絶対に思ってもいけないと思います。

以上3回にわたってガンダムから引っ張ってきたネタ(といってもあまり関係ないか)をお届けしましたがそろそろウザく感じる人もいると思いますので今回で止めます。

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